子供の本から差別表現をなくそう

この国のすべての皆さんへ

女性が男の子の性器を描いてあらゆる出版物に載せる。卑猥な言葉を使う。性器の写真まで載せる。 その異常さに早く気づいてください。

良識女性や本など

良識ある女性や絵本などの書籍、その他を紹介します。

 

良識絵本や児童書

おしっこおしっこどこでする?  レスリー・パトリセリ

大浜 千尋(訳) / パイインターナショナル 刊

本「おしっこおしっこどこでする」

主人公は男の子ですが性器は描いていません。
日本の女性作家なら「必ず」男の子の性器を描くところでしょう。描く必然性がないものをあえて描くのはこうした女が下品で、男性を見下しているからです。

レスリー・パトリセリはアメリカの女性絵本作家で、この他にも「おふろだ~いすき!」(パイインターナショナル 刊)など幼児向けの絵本で世界で数多くのベストセラーがあります。

ユーモラスで楽しい絵本。英語の原文も載っていますのでそのリズム感も楽しめます。良識あるお父さんお母さんは下品な女性による日本の絵本ではなくこういうものを子供に読ませましょう。

 
 

おふろでちゃぷちゃぷ  松谷 みよ子(文)いわさき ちひろ(絵)

童心社  刊

おふろでちゃぷちゃぷ本

日本の名児童文学者、松谷 みよ子と名絵本作家、いわさきちひろによる1970年の作品。
絵柄と相まってちょっと幻想的。日本語のリズム感もステキです。

いわさきさんは子供の本で全裸だからといって男の子の性器を描くなんて事はしていません。 そこが見えないようなポーズで描く。そんなのは常識でしょう。子供教育なんだから。 なのにこの国の下品な女は、絵本作家は。本当に常識がない。

子供の本で性器を描くなんて、それも男の子だけを、差別的に。こんなバカな事がまかり通る、子供に絵本も安心して与えられないような国は世界の恥だ。

ともかく、この本は安心して子供に読ませてもよいでしょう。でもまァ、キャラが男の子ってところはちょっと不満ですが。

 
 

良識書籍

からだノート 中山千夏 (1977年)

文春文庫

この本は女性が自分たちの性と体を自分自身で語り始めたものとして画期的だったのかもしれない。

この本が出た1970年代というのはウーマンリブすなわち女性も権利を主張しましょう、という機運が高まっていた。女だって性を語っていいじゃない。女の性を無理やり包み隠す必要はないんだよ。そんな風に中山さんは言っているように思えた。だって、おまんこが包み隠さず書いてあったんだもの(!)

からだノート本

この本に初めて出合った当時私は中学1年生で思春期の始まり。当然女の体に興味がわく。

だけどだ。その時点で私は女の性器というものを、本や実物ひっくるめて視覚として1回しか見た事がなかったのだ。タッタの1回。

あれは忘れもしない小学3年生の夏。
市営プールで、裸で歩いていた女の子の股に、それはあった。驚いた。だってそれまで見た本の類では、女の股には「何もついていない」としか描かれていなかったからだ。なのに、ああなっていたなんて。
その時私は大人がいかに嘘ばっかついているかがわかった。ずるいよなと。

でも、それっきり何年も、本でも実物でも女の性器を視覚として見ないうちに不安になってきた。本当にああなっているのか。あれは見間違いだったんじゃないか。だって、学校で見た性教育の教材とか、他のあらゆる本を見たって女の股には「何もついていない」からだ。

そんなわだかまりを抱えたまま私は中学1年になり、この本に出合ったのだ。 そこには、女の性器がきちんと描かれてあった。ああやっぱり、あの時市営プールで見た女の子の股についていたすじは見間違いなんかじゃなかったんだ。

そう安心すると共に別の怒りがこみ上げてきた。
大人は、特に女は嘘ばっかりつく。十代の性の教養書みたいなのは多くは女が書いてるけど、嘘やごまかしばっかり。おまんこは絵でも言葉でも描かないし、そのほか女の性の野卑なところはみーんな嘘でごまかす。

それなのに、性教育の専門家でもない、マルチタレントの中山さんが「正直な事」を書いているんだから。そんなのおかしいよね。

だいたい、女のものだけ隠すなんて公平じゃない。どんな卑怯な理屈をこねたところで。私の中で中山さんはそんなところにメスを入れてくれた。だからとても好感が持てた。ああ女性にもこんな良識のある方がいらっしゃるんだと。

また一方で中山さんは女性器の呼称についても書いている。
男性器の「おちんちん」ばっかりむやみに使われるのはいかがなものかと。「おまんこ」だってもっと使われてもいいじゃないかと。
例えば裸でかけ回っている小さな娘に対して母親が「ちゃんとパンツはかないとおまんこが風邪ひくわよ」みたいに使われる世の中の方が自然じゃないか、そう述べていたのだ。

この本の刊行から40年以上たつが現在の状況はどうだろう。
何も変わっちゃいない。それどころか事態はますます悪くなる一方だ。公には「おまんこ」はますます女たちによって隠蔽され、かわりに男性器卑語だけが一方的にインターネットの力も借りて女たちにますます発せられるようになってしまった。

あげくには女児の性器にまであの言葉をあてようとするバカ者が出てきたり。そして子供関連の本では男の子の性器だけが濫用されるといった男性蔑視の醜い男児ポルノの国になってしまった。
そんな今、中山さんは何を思うだろう。

(注)この原稿は初版の内容をもとに書いています。

 

アップロード :  2019/07/21